これまでの「三宅しげきから」
−2017年−

■6月22日
地域密着・身近な都政で5期20年の実績
これまでの仕事・これからの仕事


●都営団地・公社団地建替跡地に高齢者・保育・障害者施設・運動公園を整備
●都立玉川高校跡地に少年用サッカー・野球グラウンドを整備の他、都立梅ヶ丘病院の跡地と同じく老健施設等総合医療福祉センターの実現
●2020年東京オリンピック・パラリンピック
世田谷区内の施設、道路整備
●地域産業(商店街・ものづくり)の振興
●小田急線・京王線・東急線の踏切解消実現


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■6月15日
〜基礎からわかる三宅しげき〜


■スポーツが培ってくれた財産

私にとって小学校での野球、中学・高校でのバレーボール、大学でのアメフトと、スポーツとくに集団スポーツで培ったものが、いかに大きかったかと思う。肉体、精神力は勿論いろいろな縁もつくってくれた。それが、今になって全て生きている。

都議会議員五期二十年の間、秘書から私についてきてくれた2人の若者は現在、世田谷区議会議員として活躍している。だから、若い人には夢をもって人のために努力することを知ってもらいたいし、税金で頂いた分は次の世代に還元したいと考えている。

六期目の都議会議員として本来のなすべき都政改革に取り組んでゆくつもりだ。


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■6月6日
〜基礎からわかる三宅しげき〜


■当初は日本新党での出馬も

経営も順調だったが、平成4年に麻生時代の仲間が、来年、都議選があるから出てみろという。秘書をしていたこともあり、独立後も陳情を受ける機会も多く、出馬を決心した。そこで、麻生太郎氏に相談したところ、次の都議選(平成5年)は日本新党が大ブームになるから、まずそれでバッジをつけろと言われた。

早速、高輪のホテルで細川護熙氏(元首相・当時日本新党代表)と会ったところ、石井紘基氏(元衆院議員・故人)に会えと言う。しかし会ってみると、国旗、国歌をはじめ、国のあり方に対する考えがまったく異なり話が合わない。これでは駄目だということで、自民党でいくことにした。

地盤・看板のない無名の新人にとって自民党の公認をとれたのは奇跡に近かったが、旧小坂派(故小坂徳三郎衆院議員)区議会議員に擁立してもらい立候補した。結果は麻生太郎氏が言ったとおり、日本新党ブームが沸き起こり涙を飲んだ。中小企業診断士の資格は、この浪人中に取得した。

捲土重来の戦いはつらかった。とにかくお金がなくて、昼にアジフライ2枚を半分に分け、妻と弟、秘書の4人でタイ米を炊いてしのいだこともあった。そんな苦労も平成9年の初当選で何とか報われたが、つらい時代に面倒見てくれた方々の恩はいまでも忘れない。


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